退去時の原状回復義務と敷金返還について
不動産の賃貸借契約では、契約が終了し借主が退去するときに、「原状回復」という作業が発生します。語句からほぼ想像がつきますが、住居を「住む前(住み始めた時点)の状態に戻す」ということです。これは、前の人が住んでいたままの状態では、次の借り手がつかないということと、物件の価値を維持するためのメンテナンスという意味合いもあります。
原状回復で問題になるのが、その義務を貸主・借主のどちらが負うのかという「原状回復義務」についてです。これは、原状回復工事費用の負担、つまりは敷金の返還金額はいくらかという形で表れるので、借主が金額に納得できないとトラブルに発展する可能性が出てきます。
賃貸物件のオーナーとしては、できるだけ無用なトラブルは避けたいものです。そのためには、原状回復義務と敷金返還について、正しく理解しておくことが必要です。
原状回復義務の考え方1 ~国土交通省ガイドラインの確認~
自分が借りた物を元のまま貸してくれた相手に返す、というのはごく普通の発想でしょう。特に日本人にとっては、それ自体にあまり違和感はないと思います。しかし、借りて住んでいた住居のこととなると、住む人によって状態は変わってきますし、居住期間によっても状況が違いますから、なかなか「元のまま」ということへの均一な判断は難しいものです。それ故、退去時の原状回復をめぐる貸主と借主の意見の相違は、多くのトラブル事例を積み重ねることとなっていました。
このような原状回復に起因するトラブルを未然に防止するために、1988年に国土交通省は、「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン」(以下ガイドライン)を取りまとめ、公表しました。このガイドラインでは、原状回復について以下のように定義されています。
「賃借人の居住、使用により発生した建物価値の減少のうち、賃借人の故意・過失、善管注意義務違反、その他通常の使用を超えるような使用による損耗・毀損(以下「損耗等」という。)を復旧すること」
そして、「建物の損耗等=建物価値の減少」という考え方をもって、「損耗等」をわかりやすく以下の三つに区分しています。
1.建物・設備等の自然的な劣化・損耗等(経年劣化)
2.賃借人の通常の使用により生ずる損耗等(通常損耗)
3.賃借人の故意・過失、善管注意義務違反、その他通常の使用を超えるような使用による損耗等
これらを考え合わせて、上記「3」については賃借人(借主)が原状回復義務を負い、「1」「2」については賃貸人(貸主)が負担すべきだとしています。結果として、「原状回復は、賃借人が借りた当時の状態に戻すことではない」ということを明確に示しました。
原状回復義務の考え方2 ~民法規定の確認~
ガイドラインを下敷きに、原状回復義務と敷金返還についての考え方が、民法の規定として明文化されました(第621条・第622条の2)。
【原状回復義務について】
民法条文では以下のように規定されています。
(賃借人の原状回復義務)
第621条
賃借人は、賃借物を受け取った後にこれに生じた損傷(通常の使用及び収益によって生じた賃借物の損耗並びに賃借物の経年変化を除く。以下この条において同じ。)がある場合において、賃貸借が終了したときは、その損傷を原状に復する義務を負う。ただし、その損傷が賃借人の責めに帰することができない事由によるものであるときは、この限りでない。
条文にある「賃借人が原状に復する義務を負う」損傷とは、例えば何かをぶつけて付けてしまった壁や柱の傷、不注意でつけてしまった焼け焦げ、掃除や換気をしなかったことで発生・拡大したカビなどが該当します。
一方、「賃借人の責めに帰することができない」損傷である、「通常の使用によって生じた損耗」「経年変化」とは、所定の位置にあった冷蔵庫の裏側の壁の黒ずみ、単に年月が過ぎたことで当然に生じた壁や床の変色などが挙げられます。
【敷金返還について】
敷金については以下のように定められています。
第622条の2
1.賃貸人は、敷金(いかなる名目によるかを問わず、賃料債務その他の賃貸借に基づいて生ずる賃借人の賃貸人に対する金銭の給付を目的とする債務を担保する目的で、賃借人が賃貸人に交付する金銭をいう。以下この条において同じ。)を受け取っている場合において、次に掲げるときは、賃借人に対し、その受け取った敷金の額から賃貸借に基づいて生じた賃借人の賃貸人に対する金銭の給付を目的とする債務の額を控除した残額を返還しなければならない。
一 賃貸借が終了し、かつ、賃貸物の返還を受けたとき。
二 賃借人が適法に賃借権を譲り渡したとき。
2.賃貸人は、賃借人が賃貸借に基づいて生じた金銭の給付を目的とする債務を履行しないときは、敷金をその債務の弁済に充てることができる。この場合において、賃借人は、賃貸人に対し、敷金をその債務の弁済に充てることを請求することができない。
つまり、敷金とは毎月授受が発生する家賃などが支払われなかったときに、貸主がその受け取り分に充てることができ、そのためにあらかじめ借主が貸主に預けておく金銭である。また、契約が終了し借主が退去するときには、貸主は弁済に充てた部分を除き借主に残額を返さなくてはならない、と言っています。ここには「原状回復」と「敷金」の関係は記されていないので、基本的に敷金は退去時に借主に返還されるものだということになります。
これらの規定が、ガイドラインから法令の条文として明文化されたことで、運用上で曖昧だったものがきちんと意識付けされ、退去時のトラブルが減っていくことが期待されています。貸す側の意識が高くなれば、賃貸借契約そのものや説明の丁寧さにも反映されますから、結果的に借りる側の意識や理解も高くなるでしょう。
賃貸経営での実際の運用はどうするか
このような法令の規定を受けて、賃貸経営の現場ではどのように運用していけばいいのでしょうか。実際に退去の際に借主の不注意により生じた損傷については、敷金から差し引くという形で請求することはできないのでしょうか。
民法の条文から判断すると、家賃滞納などの弁済に充てるといったこと以外では、敷金は借主に返還しなければならないと解釈できます。しかし、この民法の規定は「任意規定」であるということを知っておく必要があります。「任意規定」とは、契約当事者間で合意がある場合には、その合意による定めが優先されるという法律の規定のことです。
つまり貸主と借主の間で、原状回復と敷金について個別の明確な規定が双方了承の上で成立しているならば、原状回復の負担割合を設定できるし、その分を敷金から差し引くということも取り決めることができるのです。このような取り決めは、一般的に賃貸借契約の「特約」として設定します。
ただし、特約が法令の原理原則に反する場合や、他の法令に抵触しているような場合は無効になる可能性が高くなります。明らかに借主が不利になるような内容は避けるという意識で、両者が納得できる範囲での設定を心がけましょう。
もう一つ、とても大事なことがあります。例えオーナーが法律を理解していても、また適正な特約を設定していたとしても、借主が認識していなかったら、やはり退去時にトラブルになる可能性が出てきてしまいます。これを防ぐためには、最初の契約締結時に契約内容を漏らさず正確に説明することがとても重要になります。その上で、理解したかどうかの確認を後に残る形で取っておくことも必要になるでしょう。
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